横浜市立の学校はお休み
私は横浜市出身。
横浜市立の小中学校はお休みで、子ども心にはうれしい日だった。
高校生になった時に、6/2が休みでないことに驚いた記憶があります。
高校は神奈川県立だったため。
小学校以来9年間6/2は休みだと思っていたためちょっとがっかりした。
きっと横浜市民の子どものあるあるでしょう。
もちろん市立の公共機関はやっています。
横浜市歌
そして、横浜開港記念日になるとふと思い出すのは『横浜市歌』。
きっと横浜市立の小学校で育った子どもたちはみな歌えるであろう市歌。
横浜市のサイトには、現在も校歌とともに歌唱指導されているとあった。
小中高の校歌はもはや覚えていないけれど、横浜市歌はなんとなく歌える。「わが日の本は島国の 朝日ただよう海に~♪」。
横浜市歌は、1909(明治42)年7月1日横浜開港五十周年記念式典のために作られたそうです。
作詞 森鴎外、作曲 南能衛
【横浜市歌を聴く(横浜市サイトより)】
わが日の本は島国よ (わがひのもとはしまぐによ)
朝日かがよう海に (あさひかがよううみに)
連りそばだつ島々なれば (つらなりそばだつしまじまなれば)
あらゆる国より舟こそ通え (あらゆるくによりふねこそかよえ)
されば港の数多かれど (さればみなとのかずおおかれど)
この横浜にまさるあらめや (このよこはまにまさるあらめや)
むかし思えば とま屋の煙 (むかしおもえばとまやのけむり)
ちらりほらりと立てりしところ (ちらりほらりとたてりしところ)
今はもも舟もも千舟 (いまはももふねももちふね)
泊るところぞ見よや (とまるところぞみよや)
果なく栄えて行くらんみ代を (はてなくさかえてゆくらんみよを)
飾る宝も入りくる港 (かざるたからもいりくるみなと)
Wikipedia 横浜市歌
【横浜市歌 現代日本語訳】
我が国日本は島国である。
連なりそびえる島々が朝日に輝く海に映える。
世界のあらゆる国からここに船が通って来るのだ。
だからこそ、世界に港は沢山あるが、この横浜に勝る港はないだろう。
昔を思えば、この横浜は、粗末な家から炊事の煙がちらほらと立つ寂しいところであった。
しかし、ご覧なさい、今や多くの船が停泊する活気ある港となった。
ああ、果てしなく栄えてゆく天皇陛下の治世を彩る文物が、今日も横浜港から入ってくるのだ。
改めて文字で読むと、明治のことばですから難しいですね。
Wikipediaの現代日本語訳を読むと、確かにそう習ったような気がする。
作詞が森鴎外。
市歌ができたエピソードなども読むとなかなか興味深いです。
文明開化の時代、開港の誇り、寒村だった横浜の思い出、横浜の今後の発展を祈念する歌詞。
1909(明治)42年に作られた横浜市歌が100年以上(116年)経った今も歌い継がれているというのも驚きですね。
小学校で校歌のように教え、行事や式典ごとに歌うからでしょう。
今回、改めて歌詞に触れ子どもの頃とはまた違った思いを抱きました。
江戸から明治へ大きく時代が変わった頃、鎖国を解き、諸外国との自由貿易が始まる時代、その港を開いた歌。
文明開化の頃、横浜に港を作ることは、横浜だけでなく、国家の大プロジェクトでもあり、新しい時代の象徴のようなものだったのでしょうね。
歴史に疎い私でも、改めて知ると感慨深いです。
1909(明治)42年に作られた横浜市歌が100年以上(116年)経った今も歌い継がれているというのも驚きですね。
横浜DeNAベイスターズ 応援歌にも♪
ブックリスト「読んで知る横浜市歌」によると、ベイスターズの応援歌にも使われるとのこと。
最近は野球を見ることが少ないので知らなかった。ベイスターズのサイトにもありました。
これはちょっと楽しいです。
今も使われているのかな。
今度ベイスターズ戦を観るときは注意してみよう。
ホームラン・勝利のファンファーレ「横浜市歌」
横浜DeNAベイスターズ 「テーマ別応援歌」
されば港の数 多かれど
☆この横浜に 優るあらめや(まさるあらめや)
※勝利のファンファーレは☆の部分を繰り返します
Top画像は横浜市役所のサイトよりお借りしました。
写真を探しましたが、大桟橋や山下公園、港の見える丘公園は何度も行っているのに、ちょうどよい写真がなかった。
昨日ふと「明日6/2は開港記念日だ」と気づき、なんだか懐かしくなりました。
横浜出身でないので夫には6/2は普通の日。
もちろん横浜市歌も知らない。
だからブログに書いてみました。